何も言えず、なので何も言わない。
ですが、まぁそれが良いというわけでもないのはわかっていますが。
震災の日、いつもと変わらず仕事していました。
次の週の月曜日、いつもと変わらず仕事していました。
テレビをあまり観ないのだけど、震災の後はテレビにかじりついて観てました。
被災された方々、今もなお、苦しく先の見えない避難生活をされている方々、メディアを通じて知る状況。
友人のブログにも貼り付けてあったサイトを貼っておきます。
ほぼ日
勝手に一部抜粋しました。
―ぼくも、ほっとけば、暗くなります。
悲しいニュースや、悲惨な報告が、
尽きることなく流れてきますし、
それをまた、見ることが義務であるような
不思議な心持ちでいますから。
深い悲しみや恐怖や、強い刺激に、
人間のこころは、とらわれやすいんですよね。
ほっとくと、暗いところばかりに目が行くし、
そのほうが、ちゃんとしているような気になりやすい。
だけど、洞窟の闇のなかにいようが、
射してくる光を見つけないと脱出できない。
その光の穴から、空気も、希望も出入りするんです。―
もちろんこれがすべてではないだろう、そう思います。
適切な言葉なんてあるのかわからない。
目まぐるしく変わる現状、結局のところ傍観者に過ぎないような罪悪感、自分の目の前の日常。
何が言いたいわけでもないけどね。
月曜日、仕事するんだぁ、ってなんか、少し、驚いた。
今もデマが溢れて、またメディアから知る現状が悲惨すぎて、日本中にパニックを引き起こす。
「備えあれば憂いなし」とは言ったものですが、買占めは悪になり、ガソリンには制限がかかる。
僕自身、原発のことなどほとんど知らずに生きてきたけれど、今もあまりよく知らないけど、ただ闇雲に批判、否定すればいいのかな。
中電に電話して浜岡原発を止めて!なんて言ったところで、わかったよ、と止めるわけもない。
臭いものには蓋をしろ、だけで済む話じゃないのだろうよ。
だからこそ、多くの人が原発反対と活動してきたんだな。
もちろん、原発賛成ってわけではない。
僕が思うのは、節電したって日常生活に支障なんてまるでないじゃないか、という事。コンビニの明かりがなくたって、人は真っ直ぐ家に帰れるんだ、と。
節電とは関係ないけど、マクドナルドの過剰包装もやめさせるべきだろう、とか思ったり。
たとえば、日本中にごろごろある原発を減らす代わりに、電気代は三倍になります、と言ったら必ず文句いう人っているだろうな、とか。
要するに自分に被害がないように暮らしたい、ということなんだろうけど。
もちろん、僕もそう。
色んな事を考えていました。
なので先週一週間がとても長く感じた。
こんな僕でも、とても心を痛めていたんだ、とそう思った。